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7月-4.江戸は世界でも熱い園芸都市だった

 「ガーデニング」という言葉は、1997(平成9)年の流行語大賞トップ10に選ばれたことで、世間に広く知られるようになりました。ガーデニングや園芸は、近年になって流行し始めたように感じられるかもしれませんが、日本では長い歴史をもつ、ポピュラーな趣味のひとつなのです。
 今回は庶民が現在と同等、もしくはそれ以上に夢中になったという、江戸時代の園芸に触れてみましょう。

プラントハンターも驚いた江戸の園芸熱

 園芸大国として知られるイギリスの王立植物園キューガーデンは、18世紀につくられた当初から、プラントハンターたちが持ち帰った世界の珍しい植物であふれていたそう。ヨーロッパ諸国のいう「見知らぬ異国」のなかには日本も含まれており、日本を訪れたプラントハンターは数知れず。植物学者のロバート・フォーチュンもまた、イギリスより派遣されて日本へやってきた外国人のひとり。彼が著書に残した言葉「日本人の国民性の著しい特色は、庶民でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしに始終好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている」からは、諸外国の園芸事情を見てきた者の目にさえ、日本人の園芸好きは特筆すべき事象に映ったことがうかがえます。

江戸時代の人々もフェス好きだった

 江戸時代中期以降はさまざまな文化が興隆し、大きく発展したといいます。また、当コラム6月-1でも触れたように、庶民は信仰と娯楽を、身近にある寺社とその縁日に求めました。お祭りがあればそこへ出かけていって楽しむさまは、現在、毎週どこかでイベントが催されてそこへ物見遊山に出かけていく私たちと、何ら変わりはなかったのです。
 縁日といえば、人気なのはやはり植木市。台東区浅草の浅草寺前、港区芝の毘沙門堂、中央区茅場町の智泉院などの縁日の植木店(うえきだな)は常設の店ではなく、今でいう露店の佇まいでありながら、多くの人で賑わったそうです。当時から脈々と続いているものでは台東区・浅草寺の「四万六千日のほおずき市」、諸事情で一時衰退しつつも、地元の方々の努力で復活したものでは、台東区下谷の「入谷の朝顔市」が知られています。

花の名所は江戸時代のテーマパーク

 江戸中期の享保年間、北区の飛鳥山、品川区の御殿山、墨田区の隅田川土手、小金井市の玉川上水土手に、将軍命令によってサクラが植えられて名所となりました。季節がくれば江戸市中の人々は手弁当を携えて、郊外の名所へ花見に出かけたそうです。現在でもこれらの場所は、東京のサクラの名所として親しまれています。
 やがて花の名所はサクラだけに限られず、ウメから百花におよびます。墨田区向島にある向島百花園もまた、江戸期から続く花の名所です。同時期、木版による印刷が行われるようになり、情報はかわら版などにより庶民へいち早く伝達されたことも、名所の賑わいを後押ししたといいます。しかし、現代のように交通機関が発達していなかった当時、庶民の足はもっぱら徒歩でした。市中から郊外の名所へ、まる1日かけて出かけては、のんびり花を楽しんだのでしょう。私たちが家族や友だちと連れ立ってテーマパークで1日を過ごす、そんな感覚だったのかもしれません。
 前出の縁日の植木市の賑わい、そして花の名所へ出かける様子。こうした江戸時代から明治、大正時代にかけての庶民と園芸との関わり合いは、『江戸名所図会』や数々の浮世絵に描かれ、当時の熱狂を今に伝えています。自宅の庭やベランダの花が一息つく夏のひととき、古き時代から庶民が築いてきた園芸文化に触れてみてはいかがでしょうか。

コラム|ウチダ トモコ
園芸ライター、グリーンアドバイザー、江戸東京野菜コンシェルジュ。
園芸雑誌、ライフスタイル誌などの編集、ライターを経て、現在は主にウェブで提案および取材執筆活動中。

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